大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和40年(う)1号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人阿部甚吉及び同鬼追明夫共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(審理不尽、理由のくいちがい)について

論旨は、原判決は、本件登録商標の原権利者大住喜右衛門がその登録商標を出願する以前から存在する銀座(米津)月堂(米津常次郎)などについて、「これらは本店(本家)よりいわゆる“のれん分け”を受けた支店又はこれに準ずべきものであって、本家である大住喜右衛門の本件登録商標出願について明示又は黙示の承諾を与えていたと推認するのが相当である」と認定しているが、右は、全く証拠に基づかない認定であって審理不尽、理由くいちがいの違法がある、というのである。

よって調査するに、原審で取り調べられた総ての証拠及び当審における事実取調の結果を検討し、≪証拠省略≫によれば、原判示登録商標「月堂」(大正五年一月二〇日登録第七六九四七号=別紙(甲)掲記)の原権利者大住喜右衛門の祖先は、古くから大阪において製菓業を営んできたが、百数十年間同姓同名の先祖の代に「大阪屋」なる商号の下に江戸の南伝馬町に進出して精を出すうち、諸大名の菓子御用を承まわる程に繁昌し、その頃右商号を「月堂」に変更するとともに製菓の品質改善に努め、ついに銘菓の店「月堂」として広く全国に知られるようになり、その後時世の著しい変化にもかかわらず「月堂」の名声は依然衰えず、右商号は代々子孫に受け継がれ(もっともその間、「」は「風」の隷書であるため、「風月堂」を使用したこともある)、その六代目に当る本件登録商標の原権利者大住喜右衛門の代になった。同人は、先代に引続き東京市京橋区南伝馬町二丁目五番地において右営業に従事し、明治三三年七月三〇日指定商品第三九類干菓子等について登録商標第一四七三六号をもって扇面三日月型の商標登録(これは大正九年一二月二五日更新登録がなされ、その時から登録商標第一二四〇二四号となり、指定商品第四三類干菓子等についてのものとなった)を受け、次いで大正五年一月二〇日指定商品第四三類菓子及び麺麭類一切について、登録商標第七六九四七号をもって本件商標「月堂」の登録を受けた。なお、これより先右「月堂」の番頭米津松造ほか十数名が、明治初年頃から順次いわゆる「のれん分け」を受け、東京市内その他において同様菓子類の製造販売業を営んできたこと、従って、これらの者は、いずれも「月堂」の商号を使用して同種営業を行なってきたので、大住喜右衛門は、その頃から自己の店名を「月堂本店大住喜右衛門商店」と称してきたことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。そして、記録を精査しても、右の「のれん分け」を受けた者又はその後継者らが、本家の大住喜右衛門の本件商標登録出願について、何ら異議を申し立てた事実は認められないから、この事実と右に認定した事実とを総合すると、これらの者は、すべて本家の「月堂」からその商号使用を許容されて営業している関係上、よしんば同人らの使用している各商号が、大住喜右衛門にとって、実質的には、当時施行されていた商標法(大正一〇年法律第九九号、以下これを単に旧商標法と称する)二条五号本文において登録できない商標として掲げている「他人の商号」には該当するとしても、同人らとしては、その主人筋である大住喜右衛門の本件登録出願について固より異議などあろう筈もなく、当時明示若しくは少くとも、黙示の承諾を与えていたと推認するに難くないのである。しかも、右の「のれん分け」の者を除いては、当時この有名な菓子の老舗「月堂」と同様な商号を使用し営業していた「他人」が、特に他に存在していたものとは記録上認められない。もっとも、押収にかかる商品包装紙、商品用紙袋、しおり、かけ紙、揚子入れなどによれば、現在右「月堂」と同じ商号または類似の商号を使用する同種営業者が、東京都内のみならず全国各地に多数存在することは認められるが、これらの店が当時から存在していたものと認められる確証はないから、右に認定した事実の妨げとはならず、他に同認定を覆すに足る証拠はない。してみると、右と同趣旨の認定をした原判決には所論のような審理不尽、理由くいちがいの違法はないから、論旨は理由がない。

また所論は、原判決は、本件商標権の現権利者となっている大住清が、昭和二二年一二月三〇日旧権利者株式会社月堂本店から右商標権を譲り受けた際、「特別の事情がない限り、大住清は、営業の秘訣の引渡、得意先の引渡、営業者たる地位の引継をも受けたと推認するのが相当であるとし、本件商標権を営業と共に譲り受けた」旨認定しているが、右もまた証拠に基づかない認定であって、審理不尽の違法がある旨主張する。

よって案ずるに、商標権は、その営業と共にする場合に限り移転し得ることは旧商標法一二条一項の明定するところでありその法意とするところは、商標は、一定の営業者が自己の取り扱う商品につき、一般の取引先をして、他の営業者の取り扱う商品と識別させるための表彰として使用されるものであって、当該商品についての密接不可分ともいうべき関係にありしかも、登録によってこれを専用する権利、すなわち商標権が発生するのであるから、商標権をその指定商品に関する営業と切り離して独立して譲渡の目的となし得るとすることは相当でないとの理由に基づくものと解せられる。そして、商標権と営業との関係をこのように理解すると、ここにいう営業は、商法上の営業の如く営業者の一定の営業目的について組織化された企業を意味するものではなく、その指定商品を単位として考えられるべきものであるから、譲渡の目的である商標権によって表彰される指定商品についての営業のみに限定され、その他の商品に関するものを包含しないというべく、従って、その営業の譲渡も右指定商品を中心とした企業の範囲において、営業者の地位の引継ぎ、有形無形の財産の移転等が行なわれれば足りるものと考えられる。

そこで、本件について調査するに、原審で取り調べられた総ての証拠及び事実取調の結果を検討し、≪証拠省略≫を総合すると、以下に記載するとおりの事実を認めることができる。すなわち、右大住喜右衛門は、その後個人経営の右「月堂」を株式会社に改組することを思い立ち、昭和七年一月三一日和洋菓子の製造販売等を目的とする「株式会社月堂本店」を東京市京橋区京橋二丁目三番地二に設立し、長男大住精一を代表取締役に、三男寺尾戒三及び四男大住清を各取締役に、実弟大住省三郎を監査役に就任させたうえ、同年九月三〇日本件商標権をその営業と共に同会社に譲り渡し、昭和八年六月一五日その移転登録を済ませたが、その後大住精一が代表取締役の地位を退いたため、その余の会社役員に異動があった際、自ら監査役に就任するなど引続き一族で同会社を固めてその発展に努力し昭和一〇年六月二一日右商標権の更新の登録を行なった。右取締役大住清は、昭和一一年二月一八日大住精一の退任の後を襲って、同会社取締役に就任し、爾来その経営に従事してきたが、太平洋戦争のぼっ発に伴い物資の入手が困難になり、戦局激烈になった昭和一八年頃には厳しい物資統制を受けたほか、従業員の軍需工場への徴用、企業整備、機械器具の供出等も行なわれ、もはや会社経営を継続することが不可能になったのでついにその頃菓子製造販売を中止し閉店した。ところが、同会社は、昭和二〇年五月二五日頃の空襲により、その製造工場、倉庫等総てが烏有に帰し、僅かに亡大住喜右衛門所有の右会社敷地を残すのみとなったので、昭和二二年九月二〇日株主総会の決議により解散することになり、同月三〇日その旨登記し、当時の代表取締役大住清が清算人に就任した。これより先、大住清は、昭和一七年一〇月一〇日父大住喜右衛門死亡し、長兄大住精一その他の先順位相続人が次々に死亡したため、右喜右衛門の相続人となり、その財産を包括して承継し、前記の会社敷地の所有者になったので、昭和二二年一月頃から右敷地において「月堂本店」なる屋号を掲げ、個人で以前の従業員の一部を使用して菓子及びパン類の製造販売業を開始し、同年一二月三〇日清算結了前の「株式会社月堂本店」から本件商標権を前記扇面三日月型商標権と共に譲渡を受け、昭和二三年一二月九日その旨の登録手続を終了した。そして、当時同会社は、前記のとおり約四年間にわたって閉店してきており、そのうえ空襲により製造工場等を焼失した際、その動産類も殆んど灰じんに帰したため、本件商標権の譲渡に伴い右会社が大住清に移転すべき営業としては、営業者としての地位、営業の秘訣、得意先の如き無形の財産を除いては皆無であった。≪証拠判断省略≫そして、以上に認定した事実によれば、大住喜右衛門及びその相続人大住清は、この銘菓の老舗「月堂」の当主としてその発展維持に努めてきたことが明らかであって、右喜右衛門がこれを個人経営から株式会社に改組したのもその現われということができ、またその一族も挙ってこれに協力してきたが、偶々戦時に遭遇し営業を継続することが不可能になったので、代表取締役大住清その他の役員らは、甚だ不本意ではあったが閉店に踏み切ったものの、いずれ機会を見て再開する考えであったことは推認するに難くない。ところが、大住清らが会社再開の拠り所としていた財産は、その後空襲により悉く焼失し、僅かに営業者としての地位営業の秘訣などの無形の財産を残すだけといった状態となったうえ、間もなく終戦後の混乱、窮乏の時代を迎え、もはや「月堂」を株式会社として再開することは困難であるとの見通しから、株主総会、すなわち一族の総意により右会社を解散させることになったものの、固より老舗「月堂」そのものは廃止する考えはなかった。それで、大住清は、右会社解散前逸早く個人で、同会社の焼跡に「月堂本店」を名乗って製菓業を開始し、他方右会社関係者は、大住清の右営業に老舗「月堂」の実体を具備させるため、その総意により本件商標権を同人に譲り渡したことを認めるに十分である。してみると、本件商標権の譲渡がこのような事情の下に行なわれた以上、その際、特段の事情がない限り、その商標により表彰される指定商品第四三類干菓子等一切についての営業者の地位の引継ぎは勿論、営業の秘訣等の引渡も同時に行なわれたものと推認するのが相当であり、しかも、特段の事情の認められない本件においては、大住清は、本件商標権をその営業と共に移転を受けたものと認めるのを相当とする。従って、これと同趣旨の認定をした原判決には、所論のような証拠に基づかない認定、審理不尽の違法はないから、論旨は理由がない(なお、大住清は、当時解散清算中の「株式会社月堂本店」の清算人であったから、同会社より右営業の譲渡を受けるには、当時施行されていた昭和二三年法律第一四八号による改正前の商法四三〇条二項、二六五条の規定により監査役の承認を得なければならないところ、≪証拠省略≫によれば、右営業の譲渡は、当時監査役の承認を得た適法なものであったことが認められる)。

控訴趣意第二(商標権の存否に関する事実誤認について)

論旨は、株式会社月堂本店が解散後、清算結了前、本件商標権を大住清に譲渡したとすれば、同会社は、それが有償譲渡であればその対価を残余当財産として配当し、また無償譲渡であれば清算結了による会社消滅の措置をとっていなければならないのに、そのいずれの形跡もないのは営業譲渡のなかったことを証明するものである旨主張する。

よって調査するに、本件商標権の譲渡が有償でなされたか否か原審記録上明確でないことは所論のとおりであるが、≪証拠省略≫によれば、大住清は、昭和二二年三月頃から「株式会社月堂本店」の株式会社三菱銀行に対する債務金三万二千余円を、右会社に代わって個人で分割弁済してきたが、その後同会社から本件商標権及びその営業の譲渡を受けた際、自己において右債務金額の支払いを引き受けたことが認められる。してみると、右の法律構成が、本件商標権及び営業の譲渡と債務引受との無名契約になるか、または本件商標権の譲渡等の負担付贈与になるかは兎も角も、これらが有償で移転されたことは明らかであり、しかも、その対価に相当するものは債務引受であって、特に右会社に帰属すべき財産は存在せず、従って、清算人たる大住清としては、所論の如き残余財産の配当をなすに由なかったものであるから、論旨は理由がない。

また所論は、本件商標権が当時大住清に帰属していたとしても、昭和二四年一二月一五日清算中の「株式会社月堂本店」について会社の継続が決定するや、大住清はその代表取締役に就任し、その後個人営業をしていないこと等の事実から考えると、同人は爾後営業を廃止したものというべく、従って、本件商標権は消滅したものとみるべきであるにもかかわらず、原判決が右営業廃止の事実を認めなかったことは事実を誤認したものである旨主張する。

よって案ずるに、商標権は、商標権者がその営業を廃止した場合に消滅することは旧商標法一三条の明定するところであるから、指定商品についての営業廃止の事実が存在すれば、これに対する商標権は当然消滅し、これについて抹消登録手続その他何らの処分行為を必要としないものと考えられるが、右にいう「営業廃止」とは、(一)商標権者が一般取引先に対して営業を廃止する意思を表示し、かつその意図の下に営業を中止した場合とか、あるいは(二)商標権者が営業廃止について明示的な意思表示はしていないが、その営業を事実上中止したおり、しかもそれが営業廃止の意思に基づくものと客観的に認識される情況にある場合を指すものと解するを相当とする。

そこで、本件について調査するに、原審で取り調べられた総ての証拠及び当審における事実取調の結果を検討し、≪証拠省略≫によれば、大住清は、前記認定のとおり、個人で「月堂本店」を経営してきたが、その後税金その他の債務支払に困ったため、清算中の「株式会社月堂本店」を再起することになり、昭和二四年一二月一五日株主総会において会社継続の決議を受け、同月二六日その旨の登記を経由するとともに自らその代表取締役に就任し、右個人の営業をそのまま同会社の営業として継続させ、爾来その営業に従事してきたが、その後再び税金その他の債務支払に窮したため、昭和二九年五月頃右営業を中止してその所有の右敷地建物を売却し、その代金の一部で右税金等を払い、残金等で東京都渋谷区青葉町一〇番地所在の家屋を購入して転居し、次いで同年一〇月三〇日株主総会において再度解散の決議をなし、同日大住清が清算人に就任し同年一二月一日その旨の登記をしたが、その前日の一一月三〇日右会社の商号を「株式会社大住」に変更した。他方、大住清は、右会社とは別に、同年一一月二六日東京都中央区八重洲五丁目七番地に和洋菓子の製造販売等を目的とする同じ商号の「株式会社月堂本店」を設立し(なお、この会社については、昭和七年一月三一日設立されて「株式会社大住」に商号変更になった「株式会社月堂本店」と区別するため、以後これを「(新)株式会社月堂本店」と称する)、実妹大住八千代と共にその代表取締役に就任したが、間もなく前記敷地売却に伴う税金を納付するため自己の持株を処分せざるを得なくなり、昭和三〇年四月二五日右会社の代表取締役を退任したがその後も依然同会社に対する実権を握ってその運営に当って来ており、その間全国銘菓展に月堂本店を代表して出席し、あるいは「のれん分け」をした全国各地の月堂を集めて月会を結成し、昭和三六年頃まで定期的に会合して製菓技術の研究向上等に努め、その間「(新)株式会社月堂本店」として三越百貨店に本件商標権の指定商品を納入するなどしてきたが、これもまた地の利を得ない等の理由から営業振わず、昭和三二年一一月一九日その商号を「株式会社京月」に変更し、同月二一日その旨の登記を経由するとともに、その頃から右会社の建物の部屋貸し業を開始し、昭和三四年頃これが満室になったため、事実上製菓業を営むことができなくなって中止した。従って、その後は、三越百貨店に対する商品納入もしていない。ところで、大住清は、昭和二四年一二月一五日清算中の「株式会社月堂本店」を継続させて、自己の個人営業を同会社に移す形式を採ってから、全然個人営業に従事してはいないが、従来一般取引先に対し右営業を廃止する意思を表示した事実はないばかりでなく、むしろ将来再開する意思、希望を有している旨明示していることが認められる。そして、右に認定した事実に先に認定した事実を考え合わせると、本件商標権者大住清は、本件起訴の対象となっている昭和三一年二月頃から昭和三五年三月頃までの間一般取引先に対し、本件商標により表彰される指定商品に関する営業について廃止の意思を表示した事実がないばかりでなく、その意図の下に営業を中止した事実も認めることができないから、前記「営業の廃止」(一)の要件に該当しないことは明らかである。もっとも同人は、本件商標権者でありながら昭和二四年末から全然個人営業に従事しておらず、そのうえ、昭和二九年五月頃にはそれまで何代にもわたって「月堂」の営業を継続してきた場所であり、かつ営業再開の唯一の拠点ともいうべきその所有の敷地建物を手離して転居し、昭和三二年末頃からそれまでの営業を続けてきた「(新)株式会社月堂本店」の建物を利用して部屋貸し業を開始したが、昭和三四年頃これが満室になったため爾来製菓業を中止しているので、これらの事実のみを採り上げれば、一応大住清がその営業を廃止したかの如く見られないこともないけれども、その他の諸事情、すなわち、同人が右の如く個人営業を中止したのは税金その他の債務支払に困ったためのやむを得ない措置であったと認められ、しかも同人は、それと同時に解散清算中の「株式会社月堂本店」を再起させて、自己の営業をそのまま同会社の営業として継続させているのであるから、これにより個人営業のばん回を図ったものと考えられるのである。また同人が老舗「月堂」の唯一かつ重要資産であるその所有の敷地建物を手離したことも、やはり税金その他の債務支払に窮し、右敷地建物を処分してその支払に充当しなければならなくなったためであり、さらに「(新)株式会社月堂本店」の営業を中止して部屋貸し業をしていることも、製菓業の経営不振による一時的方便としてなされたが、その後再開の機会を掴めず延引していることが認められ、しかも、その後においても大住清は、月堂本店の立場で「のれん分け」をした月堂との関係を維持すると共に、全国菓子業界にも月堂本店の代表として出席する等しており、さらに大住清がこれまで行なってきた月堂の維持発展(それは個人としてのみならず株式会社としてのものを含む)のための努力を考えれば、自己の代において、数代の祖先が継承して百数十年間にわたって営々築きあげた銘菓の老舗「月堂」を廃止する意思など毛頭認められないばかりでなく、客観的にもこれを認めることはできないから、前記「営業の廃止」(二)の要件にも該当しないことが明らかである。従って、右の営業廃止を要因とする本件商標権の消滅は、これを認めるに由ないものと云わなければならない。してみると、右と同趣旨の認定をした原判決には、所論の如き事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第三(商号の普通使用に関する誤認)について

論旨は、原判決は、「被告人の商号使用は、普通使用の範囲を超えている」旨認定しているが、本件商標権がそれ自体いわゆる商号的商標であること、商号もまた商標的に使用されうること、商取引の事情から商号の表示につき多少の装飾的要素を混入することが許されていること等から見て、本件は被告人の商号の普通使用に過ぎないから、この点において、原判決は、商号の使用態様につき事実を誤認している旨主張する。

よって案ずるに、商号は、商人がその営業上対外的に自己を表象するために用いる名称であるから、文字で表現し、かつ呼称し得るものであることを要するところ、これに対し商標は、先に明らかにしたとおり、商人が自己の取り扱う商品であることを一般の取引先に認識させるため、その表彰として使用するものであるから、商品の出所を指称し直接商人そのものを表示するものではない。従って、商標は、必ずしも文字で表現する必要はなく、図形あるいは記号等を表彰として使用してもよいわけであるが、そのいずれにしても、特別顕著性を有することを必要としている(旧商標法一条二項)。すなわち、その商標により、一般の取引先が商品の出所をはっきりと認識することができる程度のものであることを要求している。そして、かかる商標は、登録されると商標権の効力を具有するに至るが、旧商標法八条一項本文には「商標権の効力は普通に使用される方法をもって自己の商号を表示するものに及ばない」旨規定されており、その趣旨とするところは、その表示方法が特別顕著性を有せず、単に自己の商号を記載したに過ぎないと認められるものに対しては、商標権者は、その商標専用の権利を主張して右の商号使用を差し止めることはできない、というにあるものと解する。

そこで、被告人の「風月堂」なる名称使用の方法を調査するに、≪証拠省略≫を総合すると、被告人は、昭和二〇年暮頃から大阪市北区小松原町二七番地において、「風月堂梅田店」の屋号で店舗を構えて和洋菓子類、パン類の製造販売業を開始し、昭和二八年八月六日には「風月堂」なる商号の登記をして右営業に従事してきた(ただし昭和三二年八月以降休業中)が、他方昭和三〇年秋頃から同市南区心斉橋筋一丁目八番地にも「風月堂心斉橋店」の屋号で店舗を構えて同種営業を行なってきた。そして、被告人は、右両店舗を通じて原判示期間継続して右営業に従事してきたが、その間右「風月堂」の商号を単に看板、のれん、ウインドウに記載使用しているばかりでなく、その製造販売にかかる菓子類の包装紙、容器、ラベル等の目につく個所にこれを表示使用しており、しかもその字体は別紙(乙)掲記のとおりであることが認められる。そして、右に認定した事実によれば、被告人の「風月堂」なる名称の使用及び表示の方法は、その書体、態様などから考えると、普通に使用される方法で自己の商号を表示しているものとは到底認め難く、むしろ、一般の取引先をしてその商品の出所をはっきり認識させるに足る表示方法で使用されているものと認めるのを相当とする。従って、それはもはや商号の普通使用の方法を超え商標たる性質を有するものと云わざるを得ない。

そこで進んで、被告人使用の右商標「風月堂」(別紙(乙)掲記)と大住清の本件登録商標「月堂」(別紙(甲)掲記)との類似の有無を検討するに、凡そ二個の商標が類似するかどうかは、外観、呼称、観念等を全体として比較考察し、それが取引社会との関連において、すなわち、一般の取引先に混同誤認される虞れがあるかどうかによって判断されるべきものと解するところ被告人の商標「風月堂」と大住清の本件登録商標「月堂」とは、いずれも「フウゲツドウ」と呼称されており、その字体も、「フウ」の字の「」の中が、前者は「」であるのに対し後者は「百」であるけれども、後者は前者の隷書であって同じ字義であり、従って、両商標は観念的にも同一であること、また「堂」の字の書体について両者の間に若干の相違が認められるけれども、両商標を全体として並べ合わせると極めて酷似していること、そのうえ両商標によって表彰している商品が、ともに同一の菓子類等であることが記録上認められる。そして、右に認定した事実に、既に認定した大住清の本件登録商標が老舗「月堂」の銘菓を表彰する特別顕著なものである事実、さらに原審証人鎌田嘉之の供述、鑑定人鎌田嘉之及び同佐伯千仭各作成の鑑定書の記載を総合すると、両商標は、その外観、呼称及び観念のいずれからいっても酷似しており、しかも、その区別にあたっては、一般取引先の識別を誤らせる虞れが多分に存在し、被告人使用の商標「風月堂」は、大住清の登録商標「月堂」に類似するものと認めることができる。この認定に副わない増田繁蔵作成の鑑定書の記載はたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。してみると、右と同趣旨の認定をした原判決には、所論のような商号の普通使用に関する誤認はないから、論旨は理由がない。

よって刑事訴訟法三九六条、一八一条一項本文により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西尾貢一 裁判官 瓦谷末雄 鈴木盛一郎)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例